講師との懇談

部屋

さきほど日曜ボイストレイナーの遠藤講師とお話をしていたのだけれど。

 

発声練習では力み癖が出るけれど、歌をうたった方が状態が良い、という例が俎上に。

 

発声練習っていうのは、うた以前の単純な音で、呼吸から上体の使い方、発音による不安定さや、低域高域の響き作りといったことを行うのだけれど、これが,人によっては、気恥ずかしい部類の運動になることは容易に想像出来る。

 

かくいう私なども元来、人並みはずれておシャイな性格である。当然、初めて習った頃は戸惑いと恥ずかしさがあったことをよく覚えている。

 

ただ、それがあると、発声の邪魔になるのである。発声は心の状態そのものが影響を受けるもの。

いやいや

歌で良ければいいんじゃない?

という言い分も出て来ることだろう。

 

どっこい。

それならば、ボイストレーニングは体験レッスンだけで用済みなのである。

 

じゃあ、その発声練習って奴の必要性とは?出来なきゃならんものなの?

という疑問が当然湧いて出て来る。それに対する回答を持っていなければならない。

いろんな言い方が出来るのだけれど、例えば。

 

ボイストレーニングは、自身の発声の癖に気づくことにより、より効率的な発声方法を得ることで、精神的肉体的充足を得るものである。しかし、発声運動というもの、その日の体調気分によってさえ、左右されてしまうものである。逆に言えば、肉体のコントロールの修練に加えて、それら精神面のコントロールすることも要するため、その日その時の自分の状態に敏感になることや、正確に把握出来ることも、ボイストレーニングの意義として成立して来る。簡単に言うと、【あれ、今日はなんでこんなに響き悪いんだろうか、あーあーあー、そう言えばゆうべは変な姿勢でずーっとテレビ見てたっけか、んじゃ、こうしてみようか】という自己コントロールが出来るようになって来るわけだ。

 

その為にも、うた以前のより単純な発声に於いて、【良い】と【悪い】が判断出来る自分を作って貰うことが必要になるのだ。

 

という言い方が出来るかと思う。

 

実際、私の経験の中にもそういう方はいらっしゃって。

【はーい、その声、イイヨイイヨー、その出方よその感じ、それ、全音域で出来るかなー】と、歌を中断し、一部分歌を切り出して、その善し悪しを理解して頂くようなことを行っている。

 

 

今日の写真は、ここ飯田橋のもともとの部屋の状態の一部。あまりにも現況とは違うのである。