ボイストレーナーというものについて考えていた

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さてさて。

一体何を書いたら有意義かしら。と、書いては消し、書いては消し、しているうちに月日が簡単に流れていっていくのを感じるのは歳のせいでしょう。

シブイオンガクスタヂオ飯田橋、移転の理由は、手狭になったから、という言い方が一般的で分かりやすいでしょうか。実際先日、移転前の物件の賃貸契約終了のための立会いの場で、貸主さんから、生徒さんいなくなっちゃってやめちゃったのかと思ってた。などと言われて苦笑しつつ、さきの言を返してあげたら、とても分かり易かったようです。

 

たやすく通じる言葉、というものがあるわけです。言わなかった本当の理由、この評判のよろしくない貸主と手を切って、もうちょっとでいいから日の当たる、風の通る場所へ移りたいと何年も思ってきたのですよ、とそのまま言ったら、さらにより多くの言葉を要したでしょう。

 

そしてちょっと広めの場所に移った理由は、うたわないコースならば、それほど防音を頑張らなくてもいい場所をひとつ作ればいいわけで、うたうコースは別の人に任せて私はそちらをやってみたいと考え始めていたわけです。

 

この度載せた写真は、もう6、7年前の正月休み、みんなで書初めして遊ぼうよという私の思いつきから集まった半紙たちです。これを並べて貼って簡易な壁を作ってみたものです。なんでそんなもの作ったかといえば、あまりうたわないコース用のスペースに目隠し程度でも仕切りを設けようと思ったからです。これが必要とまでは思いませんが、あったら可笑しいかな、便利といえば便利かな、という程度の気持ちです。内容の大半は、レッスンで私がたびたび口にしていた言葉たちですし。

 

私はいいでしょう。が。

 

先月から講師に迎えている小浜田知子は、体験レッスンに来た方にこれをどう説明したらいいやら。とふと、考えるのです。(実際はこれが話題になることもなく進行したようですから、氏の経験値に敬服するばかりです)

 

やはり余計なことはしない方がいいのかも知れません。当時も、不気味だと思われたことがあったわけですから。どうせならもっとシンプルに、汎用性のあるものを作るべきではなかろうか、と。それが、やめられないのです。というか、やってしまうのです。もう、理性的な判断をしようとかしなくちゃとか、思う前に、やってしまうのです。これを個性と呼んでおけば、個性至上のぬるい時代にはしっくり来るかも知れませんが、たまに反省をする次第です。

 

前述のように、久しぶりに講師が増えました。小浜田知子氏は経歴にありますように、手練のボイストレーナーです。経験年数は私よりも長いかも知れません(私は大学を出て会社員生活ののちに初めてボイストレーニングと出会った経歴ですから)。ゆえに進め方は、私とも、水道橋の春奈とも、違います。当然だと思います。

ただそうなると、概ね私が手をかけてきたホームページに記してあるいろいろな記述と一見、相異が生じがちです。が、これはすでに6年ほど前に水道橋と飯田橋とに離れてしまった時点から起きていることですから、単に、相性のいい講師と出会うチャンスが増えた、としか思わないことにしています。やること、目指すことは同じです。やり方が違うだけです。

 

ただ、やり方が違うということは、言い方が違う、ということもいとも簡単に起こります。それがしっくり合う合わないかは、受け手によってそれぞれでしょう。だからこそ、たやすく通じる言葉、を探し続けていきたいと思います。それが一対一で行うボイストレーナーのお仕事だと、今、思います。

ゆえに私のような者こそが、あまりうたわないコース、というものを追究すべきだろうと考えています。が、その話はまた、こんど。

 

今やあまり枠が多くはないものの、講師はひとり増えております。

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