引越しのために満足に準備の進められなかった楽芸会をなんとか終えて、もうすっかりひと気のなくなった水道橋の片付けをしていて、ベランダに灰皿として使っていた沢山の容器を発見しました。
ベランダに出て、よく吸ってたっけなあ。ともに吸っていた人も、あったっけなあ。分煙の進む前の時代から、喫煙者は名前も知らない人同士でも、それどころか二度と会わない同士でも、人見知りの無口同士でも、即座に仲良くできたものでした。
ちょうど私が水道橋に来た2002年から、三崎町は自転車放置者や路上喫煙者から、問答無用で二千円を徴収する条例を施行しました。それ以前の三崎町を知る者からすれば、風景が一変したと言ってもいいでしょう。吸い殻が全て片付けられ、それを落としていた人たちはいなくなりました。
とりたてて特徴のない、人と物の寄せ集めの町東京ではありますが、人が集まって声をかわし、人が暮らす街としての空気を醸し、作り上げて行く歴史の中で、案外、私のような酒を飲むほどの社交性すらない無口な者同士でも寂しくなかった喫煙所というものの存在価値は、あったのだろうなと思います。私自身も煙草をやめて一年あまり、灰皿をさがすこともなくなった代わりに、自分の居場所とも言うべきものを見失って不安になった時期もありました。
近年、長らく交差点を賑わしていた三崎町のタバコ屋さんもついに喫煙所を辞めてしまい、そこを通ると今、夏なのに北風が通り抜けていくような感覚を覚えてしまうのです。
と、これではまるで素人の随筆ですね。
ま、いいか。そんな文章も、今やどこにでも許されてますものね。
とにかく、水道橋教室ともそろそろお別れです。