シブイショーケース#16

冷たい雨の中、いや。ライブハウスが悪いものにされてしまい、とても近寄れない、それどころか、中に入ったなんて外に向かって言えない、という風潮の中。

 

取り止めにならずに開催できました。第16回シブイショーケース一般の部。こんな事情もあって辞退の方々もありましたが、このために準備をしてきたのだからと、かまわずに参加してくださった皆さんのおかげで、開催できました。

 

今回の企画はひとりあたりの時間枠も長く、歌だけではなく自分のことをお話しして貰いました。どの道もそうですが、私はこれが好きなんです、という強い気持ちこそが、自分をそして周りの人を動かすものです。その人が何を選んでどの道を進み、今に至ったのか。好きや嫌い以外のいろいろな要素が絡み合ってきたことでしょう。それをじっくり垣間見るのです。人間っておもしろい。

 

 

もう遠い昔なのかな、第1回が100人を超える規模でやっていたことを思うと、第16回にしてついにお客さん1桁か、と、その落差に笑いさえこみ上げます。と同時に、私が志向してしたことは間違っていなかったんだなあ、ということも確認できました。また一から啓蒙の始まりです。

 

そもそもの参加希望者が少なかったことと、お手本を示すため、旧知のたなかまさひと氏をおよび立てしました。きちんとした発語発声で、話す。そして歌う。当たり前の挨拶から始まって、お客様へのお願いまで。徹頭徹尾きちんとこちらと向き合う。そうすると、聴く側のこちらもちゃんと向き合う。それがたとえきいたことのない知らない歌でも。この人、こんな人なんだとわかる。

 

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音楽は、演る人と聴く人の媒介物であり、その質を決めるのは、場所であり空気であり気持ちであること。極端な言葉を使えば、ライブだから音楽はすばらしい。ということ。音楽ソフトは所詮、宣伝と資金集めには寄与しますが、それは生演奏とは別個のものです。

 

生演奏がつまらないと真顔でいう人は、まだその本質にたどりついていないのです。そういう人には、教えてあげたい。だってね、とてもまだまだ上手とは言えない子供たちの合唱に涙する人も、ありましょう。会話もできなくなった老人たちの合唱に涙する人も、ありましょう。下手くそなコピーバンドに集った高校生の熱狂が、異様な空気を醸すことを、知っている人もありましょう。これらの例では卑近すぎて実感のない実に日本人らしい人は、伝統芸能における音楽の役割について考えればいいです。

 

 

私は音楽を構成するひとつのパートである声の鍛錬から、この道に入りました。半分は独学の、実に頼りない道のりですが、豊かな日本であるからこそ、こんな人間がこれを生業にさせて貰えていることを、こんな時だからこそ、感じます。日本はわざわざ後戻りせず、今後もずっと豊かでなくてはならないのです。

 

さてシブイショーケース一般の部。次はいつになりましょう。私は音楽を通じて、いろんな人を知りたいなと思うが故に、こんな企画を続けて行くことでしょう。

 

あらためて、池袋FIELDにはお世話になりました。東京では、少人数で雑音の少ないちょっと大きな音を、全身で纏うように心地よく聴くには、ライブハウスが最適当なんです。