さようなら四谷教室

ついに四谷教室が空っぽになりました。4月からの計画では、6月の1日と2日で引越しの上、1週目で原状回復および退去を全て終わる予定でした。

そうそう、どうして四谷教室を閉じたかといえば、結婚したのでもう新規のレッスンを増やせないし、シブイさんに迷惑をかけないよう可能な限り早く辞めたい、という講師春奈鈴の意向と、その後を引き継ぐ人がいなかったため、賃貸借契約を慌てて解約したのでした。急で驚かれた方もあったかもしれませんね。

思えば水道橋教室の時代はとても貧相な設備なうえに、なかなかお仕事を供給できずに出来高払いの薄給を強いてしまいました。なので、せめて彼女にとって便利な場所をと探して作ったのが四谷教室でした。

元来上下関係の嫌いな私、すべてのスタッフとは今も昔も雇用関係のない業務委託の関係です。期限も明文化したことはありませんが、今回は5月末までと合意していました。

ただ折悪く、緊急事態宣言下で運営の見通しが立たない私の気分のせいもあって、悲願の結婚引退なのにお祝いのひとつも出来ずじまいでした。

ですからおおいなる慰労とお祝いの代わりに。責任を持って私が教室を片付けましょう。彼女は見た目よりずっと家庭的で、専業主婦志向だったのだから、めでたしめでたし。とにかくお祝いです。

(四谷メモリアル)木っ端のみ活用の自作デスク

という気持ちで5月末に四谷教室に出向いたところ、清掃はおろか不用品が山積。これは2日間では終わりません。やる気とは裏腹に、急に左足が痛くなって片付け戦力としては自ら戦力外に陥りました。

また一方、私自身も二年ぶりの新規募集も含めて通常レッスンを再開させて来ました。それがため清掃、退去が予定より3週間も遅くなってしまいましたが昨日無事、片足を引きずりながらマスターキーを返還してきました。

四谷三丁目駅の真上。いい場所でしたが、私にとっては交通不便ですし悔いはありません。さようなら四谷。四谷には会社員時代から縁がありましたが、しばらくは疎遠になりましょう。

同じタイミングで、クボフミトが神保町にシブイの看板で教室を開いてくれました。もちろん、私は春奈鈴同様に、シブイオンガクスタヂオなんて屋号、使いたくないだろう?独立すればいいんだよ?とあらかじめ打診はしていました。が、今年時点の彼はシブイオンガクスタヂオ神保町教室、という看板を作ってくれました。シブイオンガクスタヂオ、16年半。歴史が作られていくような気分です。

渋井銀三郎