いずれ呂律がまわらなくなるから

発声、発語は自らの意思を伝えるために、失いがたい運動です。

私も含め、健康健常の時にはありがたみなど感じることなく、いつもきちんと明快に喋らなくてはならぬ、なんて思うこともなく、境遇に甘えがちです。

 

ところが、抱えた病気の進行によって、いずれ呂律がまわらなくなることが分かっていて、その予防のためにとボイストレーニングを申し込んで来られた方がありました。

その時すでに、目に不自由さがきていて歩行困難ということで、2016年の夏、当時シブイオンガクスタヂオには大変余裕がありましたし、私が出張に出向くことにしました。

病的に早く衰えゆく脳の能力を、意識的にまだ動く今、末端から動かすことで、退化(劣化老化)の進行を止めてみようという試みでした。

 

それからと言うもの、毎日、呼吸・発音・歌唱に繋がるいくつもの練習メニューを重ねていくことで、同じ病気のよその人よりもずっと進行を抑える事ができているとのことです。

これは何より、すごい意志の力だと思います。

 

なぜそう言えるかと言うと、実は一昨年の夏の終わりに、この方が急激に衰えたのを目の当たりにしたからです。悲しいことでもあったのでしょう。毎日の努力も、虚しくなってしまったのでしょう。隔週で会う私は、見る見る憔悴し、眼球が生気をうしなっていくを見ていくうちに、もしかしてこのまま長くないのではないか、と心配になったほどでした。どんどん動けなくなっていったのです。

さいわい、ある時から気を取り直して、毎日の練習習慣をまた始めてくれたようで、数ヶ月かけて元気になってくれました。(今日聞いたら、血液検査までも何一つ悪いところがなくなったそうです。)

 

彼女が言うには、発声の仕組みを意識して、丁寧にその身体の動き自体を改めて脳に言い聞かせながら動かしていくことで、運動機能を退行させず、進化させられることが分かったのだそうです。不自由になり始めていた四肢の動きも、回復させられることが実感できたことから、この試み(仮説)は誤りではなかったと。発声練習をやってみて良かったというのです。めでたしめでたし。

 

しかし、近頃しきりにこぼすのは、何のためにこんなことを頑張っているのだろうということ。自らの体験を何がしかに生かせるなら、まだしもと。

そうです。あなたが先頭切って老化に抗う道すじをひろめてくれたら良いのに、と私は言いました。が、歩行は難しいし、遺伝性の病気のため未婚のお子さんがある今は、素性も明かせない身であると。

このところ私が、口はぼったく老化抑止と結び付けて話をしているのは、このためです。微力ながら、私が立ち上がろうと思った次第です。

だって、私が出張の際にやってきたことは、20年の経験から、焦らず効率よく繰り返せるだけのメニューをやったまでです。頑張ったりしないようなやつです。でもこれだけで、発声運動機能の衰えを止められるならば、実はもっと身体全体の衰えに対しても有効なアプローチやヒントだって見つかるはず。

まずは、身の回りの、すでに老化を感じ訴えはじめている皆様がたの意識を変えていくことから、ひろげて行きたいと考えている、トーキョー2020でございます。

 

また、同様な病気の方で興味のある方がいらっしゃいましたら、都合をつけて出張にうかがいます。ご用命ください。ずいぶんフットワーク軽いと思われました?そうです。2016年に比べたら当然、暇なんです。つまり、チャンスですのよ。