いい声?


いい声

と、簡単にいうが、そりゃ一体どんな声かと思われるに違いない。

通常そう呼んでいて、レッスン中に見事に出してもらえた時には、鳥肌がたつ声。

澱みなく掠れなく、もちろん無理もなく、当然よく響き、長い音は余裕で伸び、邪念もない声。

おわかりだろうか。

その声で話してもらえたら、耳に心地よい声というものがあるんだったと再認識させられるような声。その声で歌って貰えたら、多少の音のずれなど歌の良し悪しには関係ないんだと気づかせてくれるような、声。

おわかりだろうか。

そういう声は、誰にでも出せる。
シブイでもたくさん聞いて来た。
皆その時は、完全笑顔だ。

私は長年こんなお仕事をして来たせいで、センサーが発達して来たのを自覚している。過剰反応ではない。

誰もが出せると言い切ってみると、それはそれこそが、その人固有の声であり、誇らしげに使って欲しいと願うもの。使う場所がないという人は、私の話を聞いてくれ。恣意的に使う必要もない。

声なんて自信はおろか、コンプレックスであった。そんなことがあるのかとお笑いの方もあろうが、大好きな野球を辞めたのは、あの、大きな声がどうしても出ず、それをなじられ、そこにいる資格がないと思わされ、集団に馴染めくなったからだ。次に好きになった歌だって、声が小さいのは身体的欠陥だと思い込んでいた。学生時代の友人は、私の声など印象にないことだろう。どうせ聞こえないだろうと思って無口に過ごしたのだから。

そんな私が雑談の折に、いい声ですねと褒められるのだ。何気ない社交辞令といえど、人は褒められたら荒んだ心も洗われるもの。

声に自信が必要か?

と言われたら、不要と答える人もあろう。ならば、とりたてて何にも自信がないという人よ、案外いることだろう。

こっそり、いらっしゃい。