あまりうたわないコース総括

シブイオンガクスタヂオは、連休に入ります。

 
今年は、うたわないコース講師の退職をうけて、あまりうたわないコースと名付けて一月に開講しましたが、思いの外、などという言葉では足りないほどのお申込みをいただきました。あらためて、必要性を感じさせられました。
 
当初私は、かつての自分の例を思い浮かべながら、申込者を想定していました。
自分では、こう言ってるつもりなのに、聞き取ってもらえない。聞き返される、聞き漏らされる、そして、聞き流される。だから、もう話さない。
原因は、基本的な発声のわるさに加えて、そういった経験が生んだ依怙地さであり、頑迷さであった。と。
 
ところが、あまりうたわないコースご希望のたくさんの人とお会いするにつれて、認識を少し改めました。
基本的に、呼吸が浅く、口が開いていない、という点は同じです。しかし、これは自分にとっても発見でしたが、
表情が乏しい、という特徴でした。いわゆる口角を上げるとか、笑ってみるといったこと以前のお話で。
 
思い出すわけです。かつて自分が言われていたことを。
顔を見ていても、楽しいのか悲しいのか怒っているのかも、分からない。と。言われていたっけ。
 
そうするとですね。話を聞いてもらえない、という気持ちは、かなりの面、思い込みによるものであるのではないか、ということです。
 
教える側に立ってみて、はたと気がついたのです。私自身は、聞き上手であることを自認しています。嘘だと思ったら会員さんに尋ねて下さい。いや、訊かなくてもいいですが。
聞き上手からみても、話のとっかかりを作るのが難しいタイプ、というのが、あまりうたわないコース希望の皆さんに共通していたのです。
 
 
これはごくごく当たり前の結論なのかもしれませんが。
 
そうです。昔の私のように比較的無表情で暮らしていると、相手はこちらの表情を読めず、気持ちを読めず、何を話したらいいか分からないのです。そして、声を交わしたところで、何をどう返してあげたらいいのか、分からないのです。
 
わかりますか?当たり前かもしれませんよ。当たり前かもしれませんが。ね。
 
問題は、声だけじゃなく、いや、声以前のこと、だったりするのです。あああ。
 
 
みなさん表情豊かに、暮らせますように。笑うときは周囲が分かるように笑え。怒るときは周囲が分かるように怒れ。これです。4ヶ月の総括でした。
 
連休してまた明けて、元気な顔でお会いしたいものです。