絆という言葉を文字を避けて生きてきた

あれは、何月の出来事だったでしょうか。そんな簡単なことすらこうして簡単に忘れてしまう私ですが、先ほど、お互いさま、という言葉を記事に書いて、内容の残念さもありましたが、気分を変えるために全く関係のない話を書いてみたくなりました。

 

ここには、ボイストレーニングや、教室にまつわる話だけを載せておこうと思っていたので久しく、個人的見解や思い出話などは別のところで書くようにしてきました。殊に私自身は新規生徒募集を2年にわたりお休みしていますから。なんだか久しぶりです。

 

なにかしら大きな災害が起きたときに、いろいろな場面、会合、それからさまざまな個人発信の言葉の中に、絆という文字が散見され、いや今後の論調で言えば、濫発をされてきました。この風潮をセンスを、鼻で笑う態度で生きてきました。

 

理由は簡単です。もっと大事に使おうよ。私は慎重ですから誤解がこわくて、愛という言葉すら自ら綴る歌詞に使うのを躊躇うくらいです。それと同様です。(慎重な人がシブイオンガクスタヂオを名乗ったりできるものだろうかという疑問は、ふとよぎりましたが。)

 

一行目に話を戻します。あれは何月の出来事だったでしょうか。トイレットペーパー売り切れになっているらしいよ。ええ嘘でしょ見てみるよ。この東京ど真ん中、とてもじゃないけど住んでご覧と言われても住めない地価地域のスーパーマーケットに行ってみて驚愕。

 

ないじゃん。トイレットペーパー。ティッシュまでない。マスクもなぜかない。どころか笑っちゃう。お米も?インスタントラーメンも?もはや面白くて、その時点でも売れ残っている商品名を記録しておきたくなるくらいの悲惨な棚事情でした。

 

案の定、ちょうど今切れそうだったから今うちに1ロールしかないんです、という生徒さんが現れました。たまたま買ったばかりのタイミングだったので差し上げました。それから、マスクがもう一ヶ月買えなくて持ってないという方にも、貰い物ですが、と差し上げました。

 

あるいは、もう電車の中じゃマスクしてないと怖い目で見られるよ、と言いながらも、もう売ってないし持っていないですという人に、二枚渡しました。とにかく持っていなさいと。いったい日本てのは、どんなに貧しい国なんだろうと思いました。

 

マスクだろうが紙だろうが、本当は有り余るほどあるんです。それも知っているはずです。でも、ないないないと駆けずり回ったり開店前の店舗に並んでいます。どうしようもなく、暇なのか。それとも、まるで孤独を楽しんでいるのでしょうか?

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有事に際して皆さんが絆という文字を掲げるたびに、私はきっちりと目をそらすひねくれ者です。そんな私のこういった口ぶりを見て、マスク、トイレットペーパーが集まってきてしまいました。これを私は絆ペーパーとふざけて呼んでいます。

 

でもいざ自分が困ったらどうするつもりか?と問われたら、親戚でもないし同僚でもないし特に仲良しでもないけど、お向かいの高梨さん宅にいって、恵んでもらうつもりです。それくらい許して貰えるように挨拶は勿論掃除もするし、雪かきだってします。

 

こんなの絆未満です。きっとどうにでもなります。

 

お金はあっても貧しいな、と心から思うんです。厚生労働省からマスク二枚が届かなくたってほとんど一般の人は困っていません。万一届いたらそれは黙って困っている人のところへ持っていけばいいんです。皆さんもはやお得意の検索をすれば、その先も見つかります。

 

私たち講師陣はたまたま、歌をやっています。簡単に言えば売れやしない歌を歌っています。その存在価値の可否は別として、普段は欲張らずとも時々、ライブ会場にできるだけ人がいてくれた方が、会場使用料の足しに助かる場合があります。

 

自分の歌を誰かに聴いてもらおうと思ったら、それなりの関係を築いておくことが大切です。本当に大好きならともかく、そうでもないとしても、あの人が喜ぶなら今回は聴きに行っとこか、と思って足を運んで貰える関係は、きっと無駄ではありません。

 

世の中、そういうことだったのか、と思うこともあれば、そういうことじゃありませんか?と言いたくなる時もあります。私はだいたいにおいて少数派に括られるタイプですが、時々、あれ少数派の方がもしや生きやすくはないかい?と思う時があります。

そういう自分の実弟が、マスクを求めてドラッグストアを12軒もはしごしたというのですから、当然意見も合わず寂しくもなり、生きやすいというべきなのか生きにくいというべきなのか、わからなくなります。