わざわざ通ってまでボイストレーニングをやろうという方に、確実に大きな変化をもたらすのが、ボイストレイナーのお仕事であることは、疑いのない前提である。
個人差が激しくて、実例をケースごとに記す、ということが難しい故に、どうしても一例ごとに示すしかない。
お芝居を始めた方がある。
もともとの動機は別だった。
ほら、もう分別が難しくなる。
台詞の中で男声を区別して出さねばならぬ時に、どうしてもキンキンした声になってしまう。
そう、いわゆる男性のような低音の効いた太い声音が欲しいのに。
これはいい練習になりますからねとは、言ってある。本番のための真剣な練習であり、今まで出るはずがないと思い込んで来た低めの音を出せるようにすることは、すべての基本になるからだ。
お稽古場の録音を聴かせて頂いたが、先生のお手本を真似てヒートアップするほど、地のキンキン声が出てきてしまう。
だいたいもともと落ち着いた喋り方をなさる方だ。
気持ちと体は自然に連動するのだから、仕方ない。
しかし、練習を重ねているのだろう。
慣れて来た。
慣れて来たとはどういうことかと言うと、
こういう風に出したい
と思って出そうとして成功する確率が上がったということ。
話し声と歌の大きな違いは、音の高低があからさまに厳密なのと、延ばす音があること。
それらが絡むことで、いわゆるセリフ読みにかかる、滑舌雰囲気情感といった要素から解放されることがある。
だいたい気持ちが入りすぎると力んでしまうのは、歌もセリフも同じだろう。そのあたりの加減に自分で気がついた時に、確実に大きな変化が現れる。
自発的に考えて行動する性向の方は殊に、今まで生まれてこのかた築いてきた自分の運動方式といったものにとらわれがちで、逆にコントロールが難しい。焦るほどうまくいかないのも、そういうことだろう。
ひとつの例を追究するだけでこれだけさまざまな要件が派生する。
だから、書きづらい。
声は気持ちで変わるように内的要因が大きいので、ボイストレイナーの前では、気負わず気張らずかっこつけず、素直でいてくれた方が話は早いのである。
いやあ、話逸れた逸れた。でも、実例掘り起こしは実に楽しい。また書こう。