自分の言葉がみつからない
前稿に引き続きまして、発表会の意義を考えるところから始まって、一介のボイストレーニング教室として出来ること、やるべきこと、目指すことへと話は流れてまいります。
例えば、これは該当者にしか分からないことかも知れません。
- 声が小さい
- 何を言っているのか分からない
と、人から指摘されることは、言われる側からすると大変心外なもので、他者から理解されないことへの不安と不満が蓄積されます。
さらに、そう指摘する他者によって、この人は
- 意思がない
- 意見もない
- では多数意見支持者ですね
- 黙ってなさい
と、判断されるに至っては、精神的苦痛とそれによる疲弊、その蓄積によって、
本来あまり望んでいないにもかかわらず、社交性の必要を感じない性質や自己完結指向の生活への変異へと繋がります。
もちろん、本当に意志薄弱で他者に流されるままに生きているのが快いという方もありましょう。
しかし、こと、わざわざ個人レッスンのボイストレーニング教室に足を運ぶこのタイプの人は、概して実は我が強く、自分の意見も持っていて、ひっそりと行動もする人です。
ただ、言葉がない。声がない。すなわち他者との交渉手段としての表現力に乏しいわけです。
そこでボイストレーニング。しっかりと届く声を得れば次第に、説得力を持つための言葉を探しはじめます。自分が持っている語彙から言葉選びをするようになり、言葉選びの過程で論理的思考を鍛え、確実に聞かせる為の発声に慣れて行くことで、相互理解の安心感へとつながります。
これが出来たら、うたが上手いとか下手とか、どうでも良くなるんです。私の立場からすれば、本当にお好きなうたを、好きなようにうたいなさい、としか言えなくなります。
私がこんな志向でレッスンを行っているからか、飯田橋教室はそのような方の占有率が高くなります。これは必然でしょう。
その特徴は、自信を得て、どんどんきれいになって行く女性たちと、下を向かず主張することを恐れない男性たち。
そうですみなさん、わがままになって行きます。大人のわがまま大歓迎。大人のわがままには自ずと自己責任が求められます。それを果たせばいいだけです。好きなように生きようじゃありませんか。