自分の声は聴こえたほうがいい

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今日掲げてみる写真。こんなものを見ても、いらしたことのない方には何もお分かりいただけないと思うのですが。楽器を片付け、備品を箱に詰めてまさに引越し作業らしいことをついにやりました。連日、壁を壊すだの、床を剥がすだの、およそ引越しとは思えない作業ばかりが続いていましたからとても新鮮でした。まあこの後、この壁も床も分解していくのですが。

 

この度、通っているみなさんの半数以上が、記念にとこの自作教室を写真に収めるべくカメラ電話を構えておられました。一様に当然のこと、一部しか写らないわけでしたが。狭いからねえ。 どう頑張っても、シブイ飯田橋のレッスン室の全貌を写真に収めるには、パノラマ撮影するしかないのです。

 

 

この狭さの良さは、ご自身の声がよく聞こえたことだと思うのです。壁の共鳴は当然抑えていますが、自分の声が聞こえない、というのは驚くほど不安な状態なのです。

例えば、イヤフォンで好きなうたを大音量で流しながら一緒に歌った自分の声を録音してみたことがありますか?これはお試しください。真夏の怪談レベルの恐怖を感じられます。しかも自作自演です。

たとえばカラオケやさんで、冷静になってみると大音量のせいで自分の声が聞こえにくいなあと感じながら歌っていたことがありませんか?ついついマイク音量を上げたり、マイクを近接させた時は、そのように感じていたのではないでしょうか。

自分の声が聴こえないと、そうそう満足に歌える人はいないと考えたほうがいいです。歌手がモニターをかならず使用している映像くらいは、おなじみかと思います。

自分の声がほどよく聞こえやすい環境、は大事だと考えています。

 

逆に、この狭さの悪いところは、人によっては閉塞的圧迫感があることであり、また、人によっては自分の声が聞こえすぎることでしょう。ある程度は思い切りよく出そうと思っていただくことは必要なのに、遠慮させてしまったケースもあったことでしょう。

 

 

しかし面白かったのは、この部屋の気さくさ、立地の不思議さによる、なんとなく世間や生活と隔絶した安心、とでも言えるようなものを感じられた方が多かったことです。隠れ家、という表現をした方のなんと多いことか。入って座するなり必ず眠気を催す人もありました。それもひとつ、緊張感をおさえた環境づくり、という点では有効だったのかなと思っています。

 

せっかく作ったのに、壊すのですか?とおっしゃった方も意外に多くて、これには正直驚きました。

あと一週間もすれば、この部屋のもとの状態が露わになります。これを見ていただけたら、お分り頂けましょう。

立地、環境、経費、を考えたら、五、六年前当時ではこの方法しか考えられなかった。というだけなのです。

たしかに、作るのに無駄といえるほどの時間と労力をかけていますが、みなさんに気易く声を出して貰える場所を作ることを追求したひとつの、割とお粗末な結果に過ぎないので、壊すことに露も抵抗はありません。むしろ楽しいとまで言うのは、個人的嗜好でしょうけれども。

 

先日、世古武志くんはお手伝いしてくれた際、随分と遠くを見るような呆れ顔でおっしゃいました。

吹雪さんがそれが楽しいと言うのなら、いいんですけど。と。

 

 

もしかしたら、私の考えは世間一般のものとは多少ずれているところがあるかも知れません。現在、東京でボイストレーニング教室を探そうと検索した場合、大変、人目につきやすい状況にあります。今こそここには、営業的に有効な文言を書き並べておくのがいいのかも知れません。こんなわけのわからない引越し記録を毎日書き連ねられても、ボイストレーニング教室を探してたまたま見かけた人には意味がないかも知れません。

 

まあ、秋には再開しますから。すべては、かつての私同様、声に困ったかたが人目を忍んで気楽に来られる場所を作るためなのですから。