第十回記念大会。せまる。

近頃、すっかりここに記すことも減り。いや、本当は書こうと思っていることはあるのです。うたわないコースの皆さんがどのように変化成長を遂げてここではいかに無事にうたうコースへとくらがえをしていく様子だとか。

 

あるのです。が。ね。

 

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シブイ楽芸会がございます。レッスンが忙しいです。ところが、この土曜日あけて月曜日、レッスン忙しいなあと思いながらも、楽芸会への参加者は土曜日は一人月曜日は二人だけ。といった具合で、楽芸会という教室の一大イベントであるにも関わらず、無関係無関心の方も現実にはたっくさんいらっしゃるのであり、いやーまったく。シブイオンガクスタヂオ、大きくなったものだなあと感心感心。(似たようなことは以前にも書いております。)

 

 

でね。教室が大きくなってしまいました。たびたび記してきましたが、第一回当時は水道橋に教室があるのみ。事務処理もイベント構成もステージ伴奏も石村吹雪がひとりでやっていました。が、あの頃と違って、ステージに上がる方の中には、ほぼ私と会話もしたことのない方も出てくるわけです。そりゃあそうだ。水道橋の生徒さんとじっくりお話しできる機会こそが、こういったイベントの後の打ち上げなのですから。

 

 

毎度話題になることです。講師が増えてくると如実に現れて来る、講師間格差についてです。格差と言っても、もちろんこの場合、上下左右といった尺度ではかって出てくる差ではありません。格差というより性格差というべきものでしょうか。そんな言葉ありませんね。ご注意ください。ご自身の言葉にどうか置き換えてご理解くださいよ。ここを読まれるくらいの方は、文盲はいません。どちらかと言えば、言葉好きな方ばかりでしょうから、安心して申し上げております。

 

簡単に言えば、ステージで歌っているのを見ているだけで、あーこの人、水道橋に来てる人でしょ?とか、この人は間違いなく飯田橋の石村の息がかかってるに違いないなあまったく。だとか、そういった感想を無理なく自然に述べられるような、ご当人から滲み出てくる雰囲気のことであり、その印象の違いのことを性格差と書いてみたのです。

 

 

そしてこのお話を進めるために、さらに掻い摘んで言いますと、よく言われることは、飯田橋の皆さん、濃ゆい。みたいな言い方になるわけです。まあ、私の都合に沿ってこれを言い換えますと、キャラクタを前面にわかりやすく見せることで、初めて見る方にも飽きずに聴いていられる時間を創出されているなあ。となるのです。いや、そう信じて疑わないのは、10年前から私が目指しているからだと、自負しているからです。

 

 

みなさんこれ、お教室の発表会です。確かに。誰一人有名な人も、ものすっごい上手な人もいるわけがありません。ほとんどの皆さんが、かくし芸に長けているわけでもありません。少なくとも歌で食ってる人など皆無。それを、たのしく見せる。三時間、たのしく見せる。

 

普通そんなことには力を入れません。個人レッスンの教室なんてものは。どこに行ったってそうです。流れ作業でカラオケ流して、はい今回も衣装、素敵でしたねー、とか言いながらこなしてしまえば、教室のイベントなんてそれで十分なのです。

 

 

私は、

 

偶然そこに居合わせた人(聴衆)との関係を楽しむ

 

という観点で、イベント運営をしてきました。

もちろん、そこに音楽、歌、というものの本質があるからに他ならないわけですから、特別なことではありませんが。

 

誰だって、うたを使って、何らか通じ合えるものなのだ。

 

ここでは、巷間愚かしくもやかましいほど安直に使われる、歌がうまいとか下手とかいった尺度とは別個の価値観の存在を感じてもらえるはずなのです。

 

 

緊張にがたがた震えながら、聴衆と向かい合って立つ姿を、たくさん見てきました。勇気いるよね。こわいよね。受け入れられなかったら、どうしよう。と。でも、受け入れてもらう方法は、必ずあるのです。そのヒントは、当たり前の毎日の、そこらじゅうに転がってるんです。

 

 

みなさまのご来場を、心よりお待ちしております。七月三十一日日曜日午前十一時開場、赤坂グラフィティです。

あいもかわらず、おもしろおかしいことでしょう。