御礼シブイ楽芸会

日曜日の午後、シブイオンガクスタヂオ恒例の第15回シブイ楽芸会、ご参加ありがとうございました。

 

一日二日三日と、噛みしめるように振り返るほど、型通りに堕さない発表会の可能性について追求してきてよかったなと思いました。

 

特別理由があったわけでなく、たまたま居合わせた他人の歌声を聴きあう場合、何を楽しむべきかといえば、やっぱり人間を味わうことだと思うのです。

 

世間ではおそらく、お手本通りに綺麗になぞるように声を出すと、褒められることでしょう。あるいは、カラオケマシンは高得点をくれるでしょう。

 

そこに意味がないとは決して言いません。でも、やっぱり見ず知らずの人の、特別上手とは言えない、という見方で聴く知らない歌は、飽きることでしょう。だから、普通の発表会は中途退場者が出るし、そういう見方聴き方をする以上、長居はできないことでしょう。

 

知っている歌であろうが、知らない歌であろうが、人が発した声、そしてその表情、あるいはパフォーマンスの類、それらをどのように楽しむか。

 

私の場合は今回も、参加者のおひとりおひとりが、選曲して、練習して、当日の準備をして過ごした日々のこと、時間のことを想像しながら、楽しく聴いていました。全然飽きませんでした。たのしかったなあ。

 

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中にはきっと、練習のようにも歌えずに、悔しい思いをした人もあったことでしょうし、自分の期待ほどの反応がなくて寂しく感じた人もありましょう。体調万全で迎えられなかったり、わかっちゃいるけど前日眠れなかったり、あるいは初めての参加でひたすら心細かったり、完全に歌詞を忘れてしまったり、いろんな人があったことでしょう。

 

でも、それらの失敗など、生きてきた年月の中の、今年の今月のたまたまの今日一日の自分の姿に過ぎないわけです。ただし逆に言えば、この日のためにどれだけ準備をしたかによって、その完成度が人によって違うのは当然です。そこを感じられたらいいのです。例えば。たかがこんな小さなイベントのために、一体どれだけの時間をまたは精力をつぎ込んで来たんだろう、あの人は。という感動。

 

ひとはそれぞれ違いますから、同じ尺度で評価をするのは難しいです。でも、そこは、測れます。そして、誰でも目指せます。そして、実はだいたい結果も出ます。そこ、頑張ればいい。

 

これが、私が目指した、それぞれの「らしさ」の追求でした。しかし、全員はもちろん、大多数の賛同は得られないことでしょう。まして、今やシブイオンガクスタヂオの中でも、私の担当するみなさんの数は、少数派になりました。そろそろ、私の企画してきたものの時代も終わりなのだな、と思います。面白かったけども、これまでにしておきましょう。

 

でも、この楽芸会の行く末を案じる参加者もあったようで、何人かの人に心配顔で尋ねられました。こんな風変わりな企画を好き好んでくださる方もあるのです。嬉しいことです。会員のページに、私あてのメールアドレスを貼っておきます。ご連絡ください。私の企画でよければ、非公式に開催する折にご連絡差し上げます。

 

改めまして、参加のみなさま、ご来場のみなさま、どうもありがとうございました。