名前考えなくちゃな

2019年はシブイ楽芸会の企画もせず、過ぎ去っていこうとしています。というのも、私が教室全体の企画をやめてしまったからです。

 

シブイオンガクスタヂオはもともとコンパクトな教室だったのが、今や創始者の私が把握していない会員数の方が多くなってしまっているため、イベントの企画アナウンスさえも行き届かなくなってしまいました。それを実感したのが2019年初頭でした。節目と言えましょう。

 

だからもう、やらない。

 

と決めていましたが、それもつまらない話です。第一に、面白くない。第二に、教室の体裁として成果発表の場がないのは、不適正。第三に、それがないと練習しない人が、やはり多い。ゆえに、私の声の届く範囲で開催します。初回を三月と考えています。

 

シブイ音楽祭、と称していた初期、もっともよく意識していたけれども、ここ数年、規模の拡大によっておろそかになってきたこと。それは、出演者一人一人の割り当て時間が減り、その人となり、を主張する時間がなくなってきたこと。

 

これによって、誰だかわからないけどもこの人も生徒さん、という程度の認識のまま、歌を聴く時間になってしまっていました。これは、初めて聴く側にとっては心の準備がない状態なのですね。

 

みなさん、向上の余地があるから、習うために通い続けているのです。名も名乗らず圧倒的歌唱力で存在感を示す、なんて芸当は、できないのです。だから、いくらか自己紹介が必要であり、初期の発表会では必ず、曲間のおしゃべり(に限らず隠し芸まで全て仕込み)の練習までレッスンの中で行なっていました。

 

これを復活させようと思います。要は、うたうまえに、我はどこの誰でわかりやすく言えばこんな人生を送ってきた人です、と語ってもらうのです。

 

そのために、全体の出演者の数はぐっと減ります。今は一開催で総勢八人くらいを考えています。趣向が少し変わってくるので、名前も考えなくちゃ。そうだな、シブイショーケース一般の部 なんて、どうでしょう。カタカナです。

 

実はもうひとつ一貫して私が目指してきたのは、客席を埋めることでした。ガラガラの客席に向かって歌うさびしさむなしさは、そして、成果のなさは、いまさら説明は要さないことでしょう。

 

見る人、聞く人があってこそ、言葉は声は生きるものです。だから、客席は埋まるようにしよう。そして、だいたいすべての機会に実現してきました。だからこそ、シブイのイベントは楽しかったし、他に類を見ないユニークな発表会でした。

 

でも、回を重ねて、毎度お友達を呼べるわけではないことは、私たちはよく知っています。私自身などかつて自分のライブに呼び過ぎて、ふるい友達はまったくいなくなってしまいましたもの。みなさんにそれは無理強いできないのです。

 

といったお話を、実例を交えながら、忘年会でお話してみようと考えています。