世の中、多様性が容認されてきたことは喜ばしいことと思います。
20年前にオタクと揶揄された部類の人々にも、春が来て久しいです。好きなものを好きと言って、一つのことにのめり込み打ち込み追求することは、どんな形であれ人格の芯を形成してくれましょう。昔から僕はオタクの味方ですし、時に恥ずかしそうにオタクを自称する人を励まして来たものです。
に対して、うたというものには人類史の中に歴史がありますし、歌が好きです、なんて言い回しは、特別なことではありません。
だから、軽く人は言います。
うたがすごく好きですと。
これが好き、と渡されていた曲をレッスン十分前にギターで弾けるようにしておきました。
レッスンでは、なかば試すように、これ好きなら歌詞見なくていいよね、と、隙を与えぬまま弾き始めてみます。
見事、最後まで歌いきりました。
好きって、こういうことだよな、と、嬉しくなりました。
この十年ほど、比率としては平均一割か二割くらいは、すごく好きな歌がある人、が在籍しています。
これに関連してひとつ。
カラオケに行って、世代的に同席したみんなが知らない歌を歌ったのに、とても評判が良かったという子がいます。理由が分からないと言います。
理由はかんたんです。この子はモニターなど一切見ないで自分のすごく好きな歌をうたっただけなんです。逆に、この子がカラオケで歌詞をよく間違える理由は、歌詞など見ていないからなんですね。
珍しく誰でもできるカラオケ上達術を書いてしまいました。お恥ずかしい。