水道橋に来た理由

さて、雨の水曜日。朝の水道橋教室から更新です。

 

もともと私が講師業をすることになったのは、実際に私自身が通っていた個人経営の教室で、講師やってみないかと勧められたからというお話は書いた気がします。それが杉並区阿佐ヶ谷にあったことも。

 

当時1995年ごろにボイストレーニングを教えてくれる教室を探すとなると、専門学校はもちろんですがとっくに社会人の私には不向きだろうと思われました。あとは音楽雑誌の広告だとか、雑誌の最後の、文通相手を探すコーナーとかからです。そしてやっと見つけても、現在の相場から言ってもとても高価で手がでない、というところばかりでした。そりゃそうです。プロ志向の人にしか用のないものでした。そんな中、私の場合はサンレコ(わかる人だけでよし)誌の、やはり最後の方のコーナーで、ハガキで資料請求を受け付けていた教室がご縁になりました。ハガキですよハガキ。ハガキ書いたの覚えています。体験レッスン2000円。月8回でも17000円。そんなお安いところは、他に見当たりませんでした。

 

二年ほど習って講師をさせてもらい、当然薄給にしかなりませんがそこは小さな職場の良さもあります。いわゆる手弁当でホームページを作ったものでした。それが1998年。当時まだいわば競合他社というものがなく、作った途端にお申し込みが殺到というのを体験したのが、あの頃でした。

 

あんまり生徒が増えたので、任せられる講師もさらに増えていたし、もう私も自宅から電車一本で行けて、年間60試合ちかく日本ハム戦がすぐに見に行ける水道橋に教室を作ってはくれないか?とボスに打診したのでした。都内で電車を三本乗り継ぐ通勤もうんざりしていました。

 

そして2002年春、水道橋にめでたく教室ができて、週末は野球の三連戦を、歩いてちょっとで観に行ける(二連敗の後さらに観に行く苦痛についてなどは、また別に語れる場所があれば語ります)。しかも観戦チケットなんかTー1で買えば600円くらい。いい環境だなあと喜んだものでした。が、世の中のどれだけの人がご存知か知りませんが、日本ハム球団は2003年のシーズンを最後に、北海道へ行ってしまったのでした。正直言えばもう、仕事場が水道橋であることの利点は自分の中ではなくなっていたのでした。どこでもいいんです。もう水道橋でなくてよかったのです。御茶ノ水でも新宿でも池袋でもどこでもよかったのです。しかし、もうお気付きでしょうみなさん。2003年末に私はそこから独立したのです。

 

なんという間の悪さ。

零細専制独裁暗黒企業からついに脱出独立したと思ったらもう、ハムはなし。

 

 

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あれから、十四年近くになります。小松アキが去った2014年の年末のような寂しさを感じずにはいられませんが、感傷に浸るのは簡単ですから、浸る前に書いておこうと思い立った今朝です。私には今夜、写真にもありますとおり春奈が昨日のレッスンのあと残した少なくないおおものたちを運ぶという背筋仕事が残っています。(せめて電子ピアノの解体くらい、しておいて欲しかった。それがダメなら譜面台を。)

 

今回、例えば月末に三日くらい休みにして運んでしまえば楽なのに、そう、それくらいの余裕は今のシブイさんにはあるのに、何故に月の途中から業後の遅い時間に何回にも分けて運ぶこと、になったかと言えば、春には既に6月30日の比較的大事なライブが決まっていて、ギターを弾く私は握力を温存したかったのです。弾かない人には永遠に分からないことでしょうが、それを最優先にしたのでした。私はそういう人間です。(本音を言えば昨夜にしたかったのですが、残存体力がそれを許しませんでした。残念も色々あるものです。)

 

さておき。

 

水道橋教室あらため四谷教室となる今後もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

既に、四谷の方へためしに訪れてみていた幾人もの会員のみなさん、ありがとうございます。移転オープンは七月一日。すでに予約でいっぱい模様ですが、平日は久しぶりに余裕が生じているようです。よろしくお願い致します。

 

シブイオンガクスタヂオ 石村吹雪